自己紹介「僕がフリーランスのエンジニアになった理由」

  • 名前 本田 祐樹(ホンダユウキ)
  • 職業 フリーランスエンジニア
  • 誕生日 1984年7月21日生まれ

僕がフリーランスのエンジニアになった理由

こども時代 「父のパソコンに触れる」

仕事の関係だったのか、そもそもIT系が好きだったからか。

父が買ったパソコン機材がまわりにたくさんある家庭で育ちました。

パソコンソフト(おそらく姉のために買ったゲーム)もいくつかあって、そのソフトで遊んでいたことを覚えています。

そんなゲームを通して、自然にマウスやキーボードを操作したりと、こどもながらにパソコンに触れていました。

高校時代「父の要請で強制的にパソコンを自作→ハマる」

高校二年のある休日、とつぜん父親が「パソコン作るか」と言いだし、わけもわからずパソコンパーツショップにつれていかれ、わけもわからないまま自作することになりました。

結果、なんとか自作に成功して感動。さらに起動画面が表示できて大感動

そのままパソコン少年になっていきました。

当時はおもしろいホームページを見るのが好きで、自分もつくってみたいとホームページづくりに没頭。(侍魂が好きだった人はほぼ同世代だと思います)

無料レンタルサーバーの契約やホームページの公開方法を覚えたのはこの頃です。

タイピングはまだ我流で、プログラミングはまったくわからないレベル。

誰かの作ったプログラムを配置して動かすのを楽しんでいました。

音楽活動時代「音楽よりもホームページ制作がうまくなる」

高校を卒業して東京に進出。日銭を稼ぎつつ音楽活動に明け暮れていました。

自分流の音楽をやってやるという思いで、音楽系とIT系の専門学校を立て続けに中退。

いま思えば死ぬほど親に迷惑をかけました。安易な選択はもうこりごりです。

このころ音楽をインターネットで個人配信する人たちが増え、僕も必要性を感じてホームページ作成スキルを磨きました。

その結果、音楽よりもホームページスキルが向上。なぜかプログラミングにも挑戦しはじめる始末。

矢印キーを押すとキャラが動き、ボタンを押すとビームがでて敵を倒すゲームプログラムを作ったときは「自分天才なんじゃねーか?」とだいぶドヤっていました。

ええはい、音楽やれっちゅー話です。昔に戻れるなら言ってやりたいところです。

で、おそらくもう熱が冷めてしまっていたのでしょう。

そんなこんなで活動していたユニットの解散を機に地元に戻ってきました。

このときはまだまだ自分の道を探していました。

就職への最終抵抗「いま思うと一番ムダな時期」

大学を目指して勉強するかたわら、お小遣い稼ぎをするべくペラサイトづくりに専念にしていました。(あわよくばこの小遣い稼ぎを本業にしてやろうと思っていましたが甘かったです)

ペラサイトとは「数千文字の文章を書いた1枚のウェブページ」で、リンクが広告しかなく、踏まれるとクリック課金が入るというものです。これを大量に作って公開していました。(いまはGoogleの規約が厳しくなり、この手法でつくったページを上位表示させることは難しくなっています)

このころに文字入力速度をあげるべく、タッチタイピングを身につけました。

そして見事に大学受験に大失敗して、すぐに就職を決意します。

(ペラサイトは月5万の収益を出していましたが、就職後に自然消滅することになりました)

サラリーマン時代「飛躍的に成長した時期」

この時代は死にかけるほど働いて死ぬほど成長した時期です。

地元の開発会社に就職

ハローワークの募集文言で「クリエイティブな仕事です」という言葉が刺さって面接を決めました。

なにも考えずに面接に行ったら社長に「なにか作ったものとかある?」と言われ、とくに出せるような代物はなにもないのに「ミニゲームがあります」と返答。

その後、3日間ほど後に持っていく予定だけを伝え、ゼロから徹夜で作ってもっていきました。

結果、見事採用。

つくったゲームのプログラムを提出したんですが、見る人が見れば非常に突貫工事の匂いがプンプンするシロモノ。

もしかしたらプログラムよりもこの根性が採用理由だったのかもしれません。

とにかくこれでクリエイティブな仕事をさせてもらえると思って浮かれていました。

プログラマー期

僕が入社した直後に先輩プログラマーが辞めていき、社長とデザイナーさんとほぼ未経験プログラマーの僕との3人で仕事をすることになりました。

たしかにクリエイティブな仕事でした。開発しかしていませんでしたし、開発者は僕しかいませんでしたから。

プライベートも仕事も関係なく、寝る間も惜しんでひたすら開発に打ち込む日々。

このごろではこんな状態の人間がいる会社をブラック企業と呼ぶんでしょう。

しかしこのおかげで、僕のプログラミング能力はうなぎのぼりに上がっていきました。

プロジェクトマネージャー兼プログラマー期

会社の雇用人数が増えて規模が大きくなってくると、今度は年功序列といいますか、設計や客先のヒアリング・見積もりを任されるようになります。

それらの仕事をこなしてすこしずつ僕はプログラミングから遠ざかっていくんだろうなと思っていました。

僕としては寂しい感じがしていました。

開発本部長兼プログラマー期

会社がさらに拡大し都道府県をまたいで3拠点を構え、数十人規模の会社になりました。

僕は開発本部長として任命され、開発メンバー全体の案件の進捗管理がメインになりました。

しかし、全員の仕事量はすでにいっぱい。僕のほうでも複数のプロジェクトで実装を担当していました。プログラミングから離れる寂しさなんてこれっぽっちもありませんでした。

おそらくこのころからもう営業と開発のバランスが崩れ、会社が回らなくなっていっていたのでしょう。

どんどん案件が増え、正直しんどい状況になっていきました。

そして結婚を機に、独立を考えはじめます。

結婚「ヨメさんと同時に住宅ローンを手に入れる」

会社の忙しさで炎上している最中、同時に3年付き合っていた彼女と結婚の段取りを進めていました。

プライベートも仕事も大量のプロジェクトが進行していた僕は当時の記憶があまりありません。

気がついたらヨメさんと同時に住宅ローンを手に入れていたような感覚です。

それからしばらく結婚生活をしたあと、独立を考えていることをヨメに打ちあけました。

心配していましたが大丈夫ということを信じてもらうべく、このころ市場が大きくなってきていたiPhoneアプリの開発に打ち込みはじめました。

独立「この男、フリーランスになる」

いくつかのアプリが順調に広告収益を上げ、月10万ほどの収益を上げてきた頃に勤めていた会社が倒産。

結果的に独立してそのままフリーランスエンジニアになりました。

(信じてもらうべく頑張って開発したアプリたちは、月8万ほどに下がりましたがいまも家計を助けてくれています)

フリーランスエンジニア時代「いま、そしてこれから」

よくして頂いているお客さんのおかげで5年もの間フリーランスとして活動させていただいています。この間、2人の娘にも恵まれました。

2019年4月1日でフリーランスとしては5周年を迎えます。

誰かの役に立つことと、より豊かな人生と家族の安定を目指して、このブログを書き始めた次第であります。

さいごに

ここまで読んでいただいて本当にありがとうございます。

「マサチューセッツ工科大出身です」とか言えたらよかったんですけどね。

いざプロフィール書いてみたら信頼できる経歴なんてほとんどなくて、逆になんか笑えました。

経歴になんにもないぶん、このブログでサイト制作やプログラミングのことをわかりやすくお伝えして信じていただけるよう、徹底的に日々努力していこうと思っています。

僕の活動が少しでもあなたのお役に立てば、こんなに嬉しいことはありません。

本田 祐樹